Neetって●○●!

  


先週の火曜、↓のようなイベントに参加してきた。


ニート」、フリーターってどうよ?
若者と労働 〜『「ニート」って言うな!』から考える〜

世の中いったいどうなってんのか? どう生きていったらいいんか?
熱く語 り合おう。会場でお会いしましょう。
深夜はDJ vaggy──「ニート」ミッドナイ ト──でENJOY・DANCE・TALK!


講師:本田由紀さん
(1994年日本労働研究機構研究員
2001年東京大学社会科 学研究所助教
『「ニート」って言うな!』(光文社新書)共著者)
ゲスト:グレフルさん(元フリーター全般労組)、
保坂展人さん(国会議員/ ジャーナリスト)


いま私たちのまわりには、
いろいろなかたちの不安定な雇用形態がいっぱいです。
皆多かれ少なかれ不安定と共に生きていらっしゃるわけですよね。
不安定さ の拡大 は、正社員とされている人たちにも
様々な影響を及ぼしていると思われ ます。
ニート」という言葉は、何となく流行り、
定着してしまっているようです。
講師の本田さんは、あいまいなままに一人歩きし、
現実の社会に様々な波紋を広げているこの言葉について、
ニートって言うな!」と提起し、もっときちんと 考えようよ!という
呼びかけをしている方です。
この呼びかけに応えるイベントを行いたいと思います。
ゲストには元フリーター全般労組グレフルさんと、
10 〜20代の時に数多くのアルバイトを経験し、
現在も若者や中高生の問題に取り組むジャーナリストであり
衆議院議員でもある保坂展人さん(社民党)をお招きし、
活動のなかで考えたことを語っていただきます。
不安定さと生きづらさが広がるなかで、人々に対する監視・
管理を強める動きも広がっています。
そうした動きについても考えていきたいと思います。
リラックスできる素敵なお店でやります。
活発な意見のやりとりができると思います。


戦争と治安管理に反対するPINCH!
http://www.iya-ten.net/pinch/index.html


  


右の写真はトークイベント終了後のDJの模様


それはそうと、
先月のデモの際に知り合った友人、
MNBさんに、以下のようなチラシを貰った。



BASIC INCOME MANIFEST


ベーシック・インカムとは何か】


ベーシック・インカムとは何だろうか。
それはさしあたり、すべてのひとが、
その生を営むのに必要なお金を無条件で
保証されることの要求だといえよう。
重要なのは、<無条件性>である。
つまりそれは、資産/労働/性別/
婚姻/年齢/障害の有無などを一切問わない。
ひとはただその生存のゆえに、
ベーシック・インカムを要求しうるのである。


われわれの社会ではふつう、
労働によって生存のための賃金を得ることが要求される。
これに対してベーシック・インカムは、
働いている/働いていない、働ける/働けない、
働きたい・働きたくないといった、
労働をめぐる差異を一切問わない。
ひとは生存のために必ずしも働かなくてもよい。
このように生存のための労働から
ひとを解放するベーシック・インカムの要求はだから、
生存のために労働を強制する
資本主義社会の秩序に根源的に敵対しうる。
それはまた、支払われる労働から排除されてきた者、
不払い労働を強制され―それゆえに拒否し―てきた者など、<分け前>を不当に少なくしか
/あるいはまったく用意されてこなかった者の、
その分け前を登録することによって、
そこに不和を生じさせうるものである。


繰り返しておこう、
重要なのは<すべてのひとに無条件で>支払われることである。
ベーシック・インカムにおいては、
われわれは誰も、何者であるかを問われることはない。
ひとの生を分断するような序列化は全て拒否され、
あらゆる生のあり様が無条件に肯定される。
働いているか否か、男か女か、老いているかいないか、
などの差異に基づいて構成された人間のヒエラルキーを拒み、
よりラディカルな平等の地平を眼差すことが可能となる。


これまで分け前を用意されてこなかった、
非正規労働者も、野宿者も、学生も、女も、子どもも、外国人も、
ベーシック・インカムを当たり前に要求していくこと。
分け前なき者がその分け前を登録し、
そこに不和を生じさせること。
ベーシック・インカムはそれゆえに、<政治>そのものなのである。


ベーシック・インカムを要求する!】


 「奴隷ではなく、貧困の状態にありたい」
ニカラグァの搾取工場で働く少女は、自らの希望をこう語ったという。


問題は遠くにあるのではない。彼女の言葉と真に共振すべきだろう。
すなわち、われわれもまだ「奴隷」なのではないか?
だとすれば、彼女とともにめざす「貧困の状態」とはいかなるものなのか?


新自由主義が跳梁し、いまや世界は
市場のアナロジーに切りつめられている。
雇用の「柔軟化」によって、生存そのものが市場に支配されている。
人間はたんなる労働力商品にすぎない。
失業者であれ、労働者であれ、
市場の評価からの離脱を考えることすらゆるされない。
ごく端的にいって、われわれは「奴隷」である。


われわれはベーシック・インカムを要求する。
それは生存のための最低限の保障である。
だが、その直接かつ無条件の給付は、
市場の評価の支配からの自由をもたらす。
われわれはもはや「奴隷」ではない。
思い描いてほしい。いわば「貧困の状態」の保障によって、
われわれは愚劣で意味のない労働を拒否することができるだろう。
肯定されるのは、それぞれの自律的な必要と欲望である。


欲求をためらってはならない。
新自由主義の「小さな政府」のもと、
国家はその機能を軍事と警察に集約しつつある。
われわれが市場への依存を深めるほど、
行政権力の強度は上昇していく。
ベーシック・インカムの実現によって、
この暴力へのスパイラルを逆転させなければならない。
賭けられているのは、市場からの自立であると同時に、
国家の暴力をコントロールする可能性である。
保障と自律は矛盾しない。
国家と市場を支配するのはわれわれであり、
ベーシック・インカムという「貧困の状態」を求めることにおいて、
それぞれの生を無条件に肯定する展望が開かれていくのである。


【ベーシック インカムは可能である】<すべての人に無条件で>支払われるベーシック・インカムなど
財政的に不可能なのではないか?という声も聞かれる。
しかし、実際には財政上もじゅうぶん
可能であるという試算結果も少なくない(注1)。


注1:たとえば、小沢修司(2002『福祉社会と社会保障改革


私たちは研究者、フリーター、野宿者支援の運動などの
有志によって発足したばかりのグループです。
私たちの当面の願いは、
ベーシック・インカムを求める声をおこしていくようになること
(さまざまな運動の要求のなかにベーシック・インカム
求めるスローガンがもりこまれるようになること)です。



          −引用−
          ベーシック・インカム研究会・東京

恥ずかしながら、
ベーシックインカムって言葉をこの時初めて聞いた。


説明するのは難しいけど、
こうなったらいいな〜と思うことであることは確かだ。


難しいことだけど、
こういうことを『不可能』だとか思ってしまうのを一旦、やめにして、
何かが変わる、と信じてやっていくしかない。